今日は母の月命日
ブログタイトルがハッピーライフなので、母のことを書くのはためらいもありますが、約3年の在宅介護について少しずつ書き留めておきたいと思います。
昨年母を亡くしました。自宅で息を引き取ったことに気づかなかったくらい、安らかな旅立ちでした。
4年前、家の周りの桜が満開となり、その樹の下で両親と一緒に写真を撮った2日後にベッドから降りる際に尻もちをつき腰椎圧迫骨折をして入院。この日から父がメインとなる母の介護が始まりました。
圧迫骨折は約1か月で退院して自宅療養となりましたが、元々足腰が弱くなっていたこともあり、退院して1か月経った朝、お手洗いのドアを開けようとしてバランスを崩して転倒。頭を床に強打して救急搬送され、仕事中の私に連絡があり病院へ向かいました。その途中、医師から電話があり、検査の結果脳幹に出血があり生命に関わる可能性がある。そのような場合に、人工呼吸器など延命措置をするかどうかの確認でした。父は高齢で平静ではないようで私に連絡を下さったようですが、そんなことを電車の中で決めろと言われても即断はできず、とにかく病院に着くまで待っていただくことに。それから病院に着くまでの間涙が止まりませんでした。
病院に着いて母のもとへかけつけると、想像とは違い母は意識もあり、会話もでき少し安心したのも束の間、医師からはいつ容態が変化するかもしれないので、延命措置に関する意志確認をされました。父があまりショックを受けないように私から説明しました。父はどのような状態になっても生きていてほしいと泣きながら言いますが、私は母が以前歩けなくなったら終わり、早く楽になりたいと言っていたこともあり、まもなく90歳を迎えようとしている時になって人工呼吸器をつけて寝たきり状態を長く続けることを母は望まないのではないかと父に話し、延命措置は望まないと医師に伝えました。
救急搬送された病院に脳外科の医師が不在であったこともあり、専門医と設備が整った病院に転院することになりました。ストレッチャーに乗せられて、人生の最後になんでこんなことになっちゃったのかしらと言いながら泣く母が可哀想でなりませんでした。この時のことを思い出すと、書きながら泣けてきます。