こんにちは。今日も朝からいい天気。これからちょっと出かけてきます。
昨日は母のお墓の契約をしてきました。
母の看取り
母が他界してもうじき1年が経とうとしています。
この間、色々ありましたが、一人暮らしになった父がなんとか元気に暮らせていることがありがたいです。
父に言わせれば、全て母のおかげだそうです。
母は自宅で息を引き取りました。
それまでの3年間自宅介護の日々がありましたが、父が多くの方々の支援を受けながらやってきました。
もちろん私も会社が休みの日には実家に帰り、家事やケアマネさんをはじめサポートしてくださる方々との諸調整などはやっていましたが、24時間一緒の父には到底及びません。
要介護5となった母は車椅子での生活にはなりましたが、食卓で自分で食事をすることもできましたので、父は介護施設に母を入所させることは全く考えていませんでした。
母より少し歳下の父は、母を看取るまでは自分が面倒をみると固く決意していました。
ここまでの経緯はまたいつか書き留めておきたいと思います。
そしてその日、父はリビングにある介護ベッドで母はまだ寝ていると思い、いつも通り朝食の支度をし、洗濯を始めていました。
訪問看護師さんがお見えになって、『お父さん、お母さん息してない』と。
その知らせを、私は実家に向かう途中の電車の中で受けました。
なので、実際に何時に息を引き取ったかはわからず、かかりつけ医にきていただき、確認していただいた時間が死亡時間となりました。
前夜、私が自宅に帰るときに『お母さん、また明日の朝来るね。ゆっくり寝てね』と、声をかけた時もうつらうつらしていましたが、コクッと少し頷いたように見えたのですが。
血圧も日に日に低くなっており、父には言えませんでしたが、お別れの日がそう遠くないだろうという気はしていました。
とにかく母が苦痛を感じることがないようにということだけを祈り、看護師さんたちにもお願いしていました。
お葬式をどうするか
高齢の母の数少ないお友だちは皆さんお亡くなりになっており、母の2人の妹たちも高齢で遠方に住んでいる。
自宅で亡くなった母を、通夜・告別式のために運び出すのは忍びない。
できることなら、このまま自宅から送りたい。
そういうことを父と弟と話し、自宅葬を専門にされている葬儀社に連絡をしました。
鎌倉にある会社なので、実家まで距離はありますがお引き受けくださいました。
すぐに家まで来てくださり、どのように送りたいかなどヒアリングしてくださり、荼毘に付すまで約1週間、家族と共に過ごすことになりました。
菩提寺もないので僧侶を招いて読経をあげていただくなど、儀式的なことはしませんでしたが、ピンクを中心とした華やかな色味のお花をいっぱい用意していただき、母を囲みました。
納棺師の方はまだ若い女性でしたが、母をとても綺麗にしてくださいました。
母の箪笥から誂えたまま袖を通していない藤色の着物を選び着付けていただきました。
お着物だけを上に羽織らせるのかと思っていましたが、肌襦袢、長襦袢、半襟などいつも通りの着付けでした。
帯も西陣織のとっても華やかな袋帯をあわせ、薄化粧をしてもらった母は20歳くらい若返ったように見えました。
最後まで痩せることがなく、色白でふくよかな母のままだったのが嬉しかった。
自宅で約1週間、母の側で食事をし、洗濯や掃除をし、普段通りの生活を送った時間。
夜には生前同様父は母の隣で寝みました。
通夜・告別式を式場で時間を決めて行ったら来られなかったかもしれない叔母や私の従兄弟たち、お世話になった看護師さんやケアマネさんも、お別れに来てくれました。
普段着のまま母の側で食事をしたり、お茶を飲みながら思い出話しをしたり、自宅で見送れてよかったと思っています。
これは本当に人それぞれ、家それぞれ、考えや価値観が違うので、あくまで我が家はそう思っているということではありますが…。
手元供養
お骨になった母をどうするか。
父の実家は地方でおまけに四男坊なので継ぐお墓はありません。
お墓を建てるのならどこにするか。
父は自分が死ぬまで側に置いておきたいというので、父・弟・私の3人で分骨してそれぞれが手元供養することにしました。
それが、この夏に父がやはりお墓を建てたいと言い出し、それからお墓探しが始まりました。
結局、父の家からは少し遠くなりますが、お墓を継ぐことになる弟の住まいから近い霊園に墓所を求め、墓石屋さんと色々相談してデザインも決め、昨日ようやく契約の運びとなりました。
お墓の完成は来年の2月中旬になりますが、父も母のために立派なお墓が建てられると安心したようです。
ウチの父は贅沢はしませんが、ちょっと見栄っ張りなところもあり、そこまでしなくてもと私は思いましたが、父が後で後悔しないように立派なお墓が建つことになりました。
お母さん、よかったね。