天気予報通り朝から雨。
外出しなくていいように昨日買い物も済ませ、何もしない気満々。
NHK朝ドラ繋がりの朝イチで『神ストレッチ』をみていました。
昔から体の硬い私は何をやってもアイタタタタ・・
20代の頃、ジムでストレッチをしていた時、本人はいたって真面目にやっているのに、インストラクターから『ふざけてるんですか?』と言われ、何気に傷つきました。
そこで一念発起して柔軟性を高める努力をしないところが私らしくて情けない。
そして今日に至る。
このままでは脚を上げているつもりなのに上がっていなくて躓いて骨折ってことになりかねない。
1日たった10分、されど10分。
これがなかなか難しい。
夫は毎晩ヨガマットを広げてストレッチに余念がありませんが、それを尻目にベッドに直行する私。
お名前も存じませんが、言葉を交わす方っていらっしゃいませんか。
シフト勤務が多かった仕事なので、毎日同じ時間に通勤するわけではなかったのですが、9時からの勤務はいわゆる通勤時間帯で、利用するバスには見覚えのある方が多かったです。
空港行きの路線バスは本数が少なく、終点まで乗るのは私を含めてほんの数人。
ほとんどは途中で下車されますが、その中に乗ると必ず顔を合わせる人がいました。
ここに住み始めた頃からなので20年以上前からのことです。
ある時、私が座っていた隣に座った彼女から突然話しかけられました。
小柄でまだ小学生か中学生かと思ったら成人した女性。
初めてなのに、前から知り合いのように親しげに色々なことを話してくれて、区立の就労継続支援施設に通っていることも教えてくれました。
訊いたわけでもないのに、お名前やお歳とかいろいろ話しちゃう。
彼女が下車するバス停で何人も一緒に下車するのは皆さんお仲間だということも。
それから、バスで一緒になると、おはよー!と元気に挨拶してくれて席が空いていれば私の隣に座っておしゃべりをして、バス停に着くと『じゃ、行ってきまーす』『行ってらっしゃい、気をつけてね』という関係に。
毎日会うわけではありませんが、それからも乗り合わせるとお仕事の予定や、休日に旅行したこと、ご家族のこと、屈託なくおしゃべりしてくれて、どうやらこういう間柄は、私以外にもいらっしゃるようで、言葉を交わす方々がいらっしゃいました。
そのうち、乗車のバス停まで必ず見送りにいらしているお母様ともバスの窓越しに会釈だけですが、ご挨拶するようになりました。
多分お母様との方が年齢が近いはず。
私が福岡に単身赴任している間は疎遠になりましたが、帰任して久しぶりに会った時には『久しぶり、元気だった?』と声をかけてくれて以前と同じように他愛もないおしゃべり。
その出会いも私の退職で途切れましたが、先日スーパーの食料品売り場でお母様とお買い物中の彼女とバッタリ。
挨拶だけで特にお話もしませんでしたが、覚えてはいてくださったようです。
20年も経ったのですから、彼女もアラフォー、私は前期高齢者。
お互いに歳をとりました。
バスでご一緒のお仲間たちも歳を重ねたことでしょう。
袖振り合うも多生の縁という言葉を耳にすることはあっても、遣う機会はあまりありません。
『多生』は仏語で何度も生まれ変わること、輪廻のことだそうで、見知らぬ人と袖が触れ合う程度のことも前世からの因縁によるものという意味のようです。
バスでの出会いを語るのにはいささか大袈裟な気もしますが、人と出会うことには何かしら意味があるような気がします。
夫との出会いも私の精神修行の意味があるのかもしれません。
夫も同じこと言うかもしれませんけどね。
《夕ごはん》
ポークピカタ(久々に作ってみました)
鯛のかぶと煮(顔が怖い)
めかぶ納豆(いつも通り)
ブロッコリーの芯と揚げの味噌汁
白菜漬け(写真なし)
食事の支度というか、何を作るか考えるのが面倒な今日この頃です。