不安定な気候のせいかもしれませんが、脱力感で何もしたくない、何もしない日々。
叔母が突然なくなりました。
並列にする話しではありませんが、女優の山本陽子さんと同じ日、同じ歳で、多分同じような死因で。
夜連絡があり、ただただ驚き信じられず喪失感でいっぱいです。
亡くなった母の歳の離れた妹。
叔母が嫁ぐまで、私の実家から会社勤めをしていた叔母は、私にとっては歳の離れた姉のような存在。
叔母の結婚式の日、実家の玄関を後にした叔母の姿をよく覚えています。
嫁ぎ先に夏休み中遊びに行っていたこともあるし、母の兄弟姉妹の中で一番近しい存在でした。
昨年末には2回続けて叔母の家を訪ね、ホームベーカリーが便利なんて話から、私もホームベーカリー買ったのに。
大量の叔母の手作り餃子は今も我が家の冷凍庫の中にあるけれど、食べ切ったら終わっちゃうと思うともう食べられないかも。
元気だったのにあっけなく逝ってしまうなんて。
夕飯用のご飯を炊く炊飯器のスイッチを入れ、少し眩暈がするので寝室でご飯が炊けるまで横になると言ったのが最後の言葉だったそう。
叔父がご飯炊けたよと声をかけた時には既に息がなかった。
救急車を呼んだけれど、結局警察による検死が必要となり翌朝自宅に戻ってきました。
突然のことで取り込み中だとは思いましたが、叔父に承諾をもらい私も翌朝枕花を携えて会いに行きました。
明るくて社交的で多趣味で、きれいな声の叔母・・
本当にあっけない。
よくピンピンころりが理想の死に方と耳にしますが、そうなんでしょうかね。
私の母は約3年の在宅介護の期間を経て自宅で亡くなり、本人の気持ちはわかりませんが、家族は少しずつ弱っていく母の姿は悲しくもありましたが、いずれ迎えるであろうその日のことを、徐々に受けてとめる時間を持てたようにも思います。
母の死から、私の漠然とした死への恐怖はなくなりました。
親って、最後の最後まで子どもに多くのことを教えてくれるものなのですね。
ピンピンころりを理想とするのは、認知症や寝たきりにはなりなくない、家族に迷惑をかけたくないという思いからだと思います。
認知症や寝たきりになることはそんなに悪いことなのでしょうか。
母の介護をしてきた父は大変だと思ったことは一度もない、母がいてくれたから今までやって来れたのだからと常々言っています。
多分その時間と体験が、今も1人で元気に暮らせている原動力になっているように思います。
まったく覚悟もないままの突然の別れだったら、遺された父や私に大きな悲しみや戸惑いを与えたことでしょう。
自分でその日を決めることも、選ぶこともできないのですから、理想も何もないとは思いますが、そんなことばかり考えてしまいがちです。
あちらで、叔母が母と会えてたらいいのですが・・
私の知らない母のことを話してくれる人はもう誰もいない。
淋しいです。