雨上がりの月曜日。
母は寒くないかしら?
そんなことを思ってしまう。
昨日は一昨年末に他界した母の納骨式でした。
家で最期を迎え、そのまま父の側で手元供養していましたが、その父が昨年母のためにお墓を建てたいと言う。
それはそれは献身的に母の介護をしてきた父の望みとあらば叶えなければ。
それから墓所探しを始め、いずれお墓の継承者となる弟の自宅からもほど近い霊園にお墓を建てることに。
かなり広大ですが、管理が行き届き四季折々の草木が配された綺麗な霊園です。
父の希望でかなり立派なお墓を建立したので、そこに母の骨壷だけがポツンと安置され、ちょっと寂しそうに感じてしまう。
でも母はそこにいるわけではないんですよね。
と、思っています。
母は眠ったまま逝ってしまったので、隣で寝ていた父でさえその瞬間には立ち会えませんでした。
私はいつものように、朝実家に向かう途中で知らせを受けましたが、涙はでませんでした。
その日が近いことはなんとなくわかっていたので、悲しいというより母はやっと自由になって彼方に旅立ったんだという気持ち。
母に対面した時に改めてそう思いました。
いつものように自宅のベッドに横たわる母は眠っているように穏やかな顔でしたが、母はすでにここには居ないんだなと実感。
最期は寝たきりの状態だったので、やっとその不自由さから解放されて、彼方で懐かしい方々と久々の対面を果たしているに違いない。
そうあって欲しいという願望かもしれませんけれど。
前の晩、血圧が低くなってきた母の耳元で、『お母さん、もう十分がんばったからね。もう楽になっていいのよ。おじいちゃんたちに会ったら、皆んな元気にしてるって、よろしく言ってね。』と、父に聞こえないように囁いた。
母は小さな声で私の名前を呼んでような気がしました。
そんな状態でなぜ一晩中寄り添っていなかったのかと思われるかもしれませんが、父を不安にさせず、できるだけいつもの生活が送れるようにしたい。
訪問診療の医師や看護師さんたちと事前に相談していました。
墓所探し、墓石選びから始まって、開眼供養と納骨式の準備、会食手配などなど、とにかく滞りなく終えることができて肩の荷がおりました。
お墓の継承者となる弟は、自分は何でもいいとノータッチ。
こういうことは結局長女の役目なんですかね。
父がほっとした途端にガクッと来ないように見守りは続きます。